佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(20)

母方の系譜と春夫の「初めての旅」(4) 実さんがアメリカへ渡ってから5、6年、ある年の暮近く、実さんから久しぶりの便りがきます。他に、「例の母の嫂(あによめ)の兄」からの便りでは、実さんは「肺病」が悪くなって日本に帰りた […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(19)

・母方の系譜と春夫の「初めての旅」(3) 既に取り上げた長雄道二の私家版「漫筆」という冊子本に、「竹田と鈴木」と題する項があり、そこには、「吾が勝浦に小学校を創設せしは明治八年なるが、明治二十年新小学校令実施に因り勝浦小 […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(18)

・母方の系譜と春夫の「初めての旅」(2) 政代の兄、竹田家の当主竹田槌五郎は、明治31年7月3日和歌山市南牛町の自宅で亡くなっています。進行性筋萎縮症を患い、死因は沈墜性肝炎でした(死亡診断書より)。安政4年3月22日の […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(17)

・母方の系譜と春夫の「初めての旅」(1) 「甘やかされた子ども」は「いつも詩人である」、「つまり詩人をつくる為めには甘い母が必要なのだ」(「わが父わが母及びその子われ」)とされる春夫の母政代は、和歌山市湊の竹田家の出で、 […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(16)

・父の医学修業と新宮での開院(7) 元治元年(1864)生まれで、代々太地の地の医家の息子で、勝浦で開業していた長雄道二の私家版「漫筆」(昭和9年2月)の中に、「熊野と病院」と題した次のような文があります。道二は豊太郎よ […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(15)

・父の医学修業と新宮での開院(6) 豊太郎の新宮での開業は、かなり早い時期からの目論見であったのかもしれません。大阪遊学から東京行への望みが脚気病によって絶たれた時、そうして祖母や養父母の強い要望を容れて、明治12年4月 […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(14)

・父の医学修業と新宮での開院(5) 北海道はまた、農地の開墾・開拓のほかに防備の仕事をする屯田兵(とんでんへい)として、多くの士族が移住を余儀なくされた土地でもありました。 開拓使の長官であった薩摩出身の黒田清隆は、「少 […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(13)

・父の医学修業と新宮での開院(4) 森佐五右衛門は、明治26年5月から翌年の4月まで新宮町長を務めています。わずか1年間だけでしたが、そのことが早い目の隠居生活につながるのかもしれません。 森の隠居所は「千種葊(あん=庵 […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(12)

・父の医学修業と新宮での開院(3) 豊太郎が「懐旧」の中で「和歌山の医学校」と「の」を表記しているのは、きわめて正確です。このころまだ和歌山医学校は誕生していなくて、豊太郎が卒業した年の明治15年7月「和歌山医学校」が成 […]

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佐藤春夫の少年時代
佐藤春夫の少年時代(11)

テーマ:館長のつぶやき―佐藤春夫の少年時代 ・父の医学修業と新宮での開院(2) 順天堂医事研究会は、明治18年から起こり毎月2回の集会を持ったといいますが、明治20年1月には「順天堂医事研究会報告」第1号が出ていますから […]

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