おぼろげ記憶帖 17 結婚式
フランスでは結婚式を挙行する前に同棲婚・事実婚を経ていよいよ結婚式になることが多いようです。1回目の渡仏で1度。2回目7年半の間に2度出席できる慶びごとがありました。先ず挙式が決まると区役所に公示が出されます。内容は“〇と△が何月何日に婚姻届けを出します”というものです。良家の子女であった一つの結婚式は新聞に名刺2つ分の大きさのお知らせ広告が出ました。平たく言えば “不都合、不足のある人は期日までに申し立てをして下さい” という事なのです。さすがに男女関係には自由奔放な国民が後になって問題が起こらないようにという苦肉の策というのでしょうか。びっくりしましたが感心もし、成程と納得したことでした。平成の頃住んでいたのはパリ16区の区役所の真向かいでした。マロニエの並木の美しい通りに面していました。区役所の中には階段には赤い絨毯、矢張り赤いビロードの壁には古典的な油絵が飾られて豪華な厳かな部屋がありました。古城を思わせる厳粛な雰囲気の中で書類にサインをして永遠の愛を誓う部屋でした。
ひとつの結婚式は一度目の暮らしからずっとお世話になっていたかけがえのない知り合いのお嬢さんでした。家族ぐるみのお付き合いで我が家の息子と同い年。5歳まではお互いに片言の日本語とフランス語で遊んでいたのです。花嫁は日仏二世と日本人の両親から生まれた子供。花婿はフランス人とドイツ人の両親から生まれた子供。お付き合い中に子供が生まれることになり、大慌ての結婚式。ウエデイングドレスの仮縫いは毎回寸法が違って大変だったと後で笑いながら話しておられました。このようなことは日常茶飯事のフランス結婚事情です。
お祝いの品をと率直に申し出たところプランタン百貨店のブライダルコーナーに商品リストを作ってあるのでその中から選んで欲しいという事でした。早速出かけました。なんとまァ~!スプーン1本から大きな家具に至るまで新しく生活するための必要品が膨大且つ細部に至る細かいものまでリストアップされていました。商品を選び、金額を支払うとその項目が消されていました。私達は銀行小切手に金額を入れサインをしてお祝いにしました。かなり後までも銀行小切手が流通し便利なシステムでした。勿論その場で滞在許可書又は個人カードの番号が裏書されます。パーテイにはご祝儀や品物を持参することはありませんし、記念品やカットされたケーキを頂いて帰ることもありません。私はとてもロングドレスを着て出席する自信はなく和服にしました。これがまた話題になって上から下まで何枚もシルク?と触りまくられたのでした。小さな日仏親善でした。