森本剛史君との想い出
森本剛史君との想い出5 ̄高校時代・英会話

蓬莱小学校、城南中学校と進み、森本君と私は当然のように新宮高校に入学。市内ではあるが少し距離があったので自転車通学ということになった。このころになると、将来の進む道も少しは考えるようになるものだろうが、奥手というか子供だ […]

続きを読む
森本剛史君との想い出
森本剛史君との想い出4~中学校時代・授業で先生をいじめる

授業で先生をいじめる(「いじる」のほうが正解か?) 私は好奇心が強くどんなことにも興味があったので、学校の授業自体は嫌いではなかった。ただ、家に帰ってからの予習や復習が嫌いでまずしたことがなかった。自由に好きなことができ […]

続きを読む
森本剛史君との想い出
森本剛史君との想い出3~中学校時代・クラブ活動

森本君とは、小学校4年生から別のクラスとなり、中学校でまた一緒になったりしたが、家が比較的近かったこともあり会いたければいつでも会えた。お互いに他にも新しい友達ができ、常に一緒にいたわけでなかったが、何かあると声がかかる […]

続きを読む
森本剛史君との想い出
森本剛史君との想い出2~ブラジルに渡った1年5組の級友

2011年秋、故郷新宮で合併のため間もなく閉鎖となる蓬莱小学校の同窓会が開かれました。卒業以来ちょうど50年になる年で初めての同窓会でした。幹事から開催の連絡を受けた私は、閉校と言う言葉に寂しさを感じながら、一も二もなく […]

続きを読む
森本剛史君との想い出
森本剛史君との想い出1~出会い・小学校時代

私の親しい友人であった森本剛史君が2014年9月22日、闘病むなしく亡くなって7年になります。生前、彼は、代官山蔦屋書店で、旅行コーナーのコンシェルジュとして多くのファンを集め、大人気を得ていました。書店勤務を始める前は […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 06 いただきます

食事の最初に 「いただきます」、 終わりに 「ごちそうさまでした」 と手を合わせて言います。 なんとたくさんの意味と気持ちのこもった言葉でしょうか。 野菜や果物、魚や肉その他の加工品の数々をつくる人達、流通の人たち。調理 […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 05 堀川

大阪は「水の都」と呼ばれていて網の目のように堀川が巡らされている。江戸時代に大坂の街の発展に伴い淀川デルタ地帯の整地をした。低地の排水と地面のかさ上げ用の土砂の必要から堀川が掘られて舟運に利用された。これはスマホの検索か […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 04 晴れ着(2)

東京オリンピックの翌年(1965年)から4年余りと20年後の平成元年から7年半余りの2度に亘り合計12年を夫の転勤に従いパリで過ごしました。 その間に幸いにもフランス人の結婚披露パーティーに3回招かれました。5・6月の北 […]

続きを読む
おぼろげ記憶帖
おぼろげ記憶帖 03 晴れ着(1)

大阪では数え年13歳の時に嵐山の松尾大社へ「十三まいり」のお参りする風習があります。 小学校6年生。「紐落とし」ともいって子供の着物の肩みやげとからげを解いて大人と同じ着物の着付けにします。子供から大人への儀式なのでしょ […]

続きを読む