父の想い出~5 . 遊び道具
戦後まもなく生まれた私たちの年代、いわゆる団塊の世代の子どもたちは、お金持ちの家は別として、おもちゃというものをなかなか買ってもらえませんでした。その代わりに、自分で作ることを覚えました。
竹とんぼ、竹馬、杉鉄砲、楠鉄砲など、材料は近くの山に切り出しに行き、のこぎり、ナイフ、錐を使いこなして、子どもたちはみな器用に作ったものです。これも、親父さんに教えてもらったのでした。
手作り野球盤
当時、プロ野球人気と相まって登場したのがエポック社の野球盤でした。これには男の子はみな憧れました。でも、なかなか買ってもらえません。さてどうしたと思いますか?そうです。出来るだけお金をかけなくてもできる遊びを親の時代から引き継いで来たのです。作ってしまったのです。
高価なおもちゃは買えなくても、少ないお小遣いで買い集めた人気選手のプロマイドを持っていました。それを写真の通り人型に切り抜き、裏にL字型に四角い紙を貼りつけて立たせます。これを球場に見立てたテーブルに、キャッチャー以外の守備位置に8人分立たせます。
ボールは、小さくて短い円筒状のもの(丸いと止まらないので不向き)を用意し、ピッチャーがマウンドからベースに向かって人指し指ではじいて投球します。バッターは、短い鉛筆を両手にもち、向かってくる球を打ち返すのです。
立ててある写真が倒れれば捕球されたとしてアウト。フィールドに止まればヒット。外野フェンスにはそろばんなどを並べておいてあり、ちょうどそこに乗っかればホームラン。場外に出ればアウト。鉛筆ではじく強さは強すぎても弱すぎてもだめ、微妙な加減でホームランを狙うのです。
今思うと、打順を考え、先発、救援、抑えの投手起用も思い通り、監督としての采配も含み、高度な頭脳ゲームだったのです。これが楽しくて仕方なかったのを覚えています。もし、男の子の孫がいたら一緒に、わざわざ作っていたかもしれません。