おぼろげ記憶帖 7 自己主張

ドゴール大統領の時代ですから今から55年位前の話。私は26・7歳で男児の母親でした。第二次世界大戦の戦没者のモニュメントがパリの西、広大なブローニュの森を越えてセーヌ川を渡った丘の上にありました。ある日“ドゴールが来る”というので曲がり角の辻まで夫と一緒に行き、人だかりの中で待っていました。その時突然 ‟ジエネラル・ドゴール!” と大声が上がりました。日本で言うならドゴール万歳!というところです。びっくりして振り返ると同じアパートに住み、隣のビルの1階で奥さんと一緒に美容院を開いているムッシユウでした。子供さんはいなくて普段はやさしく女性的な感じの方でしたから私達の驚きは大変なものでした。それでコンシェルジュのマダム・アリザに鉄工所に勤めているご主人のムッシュウは何党ですか?と不躾な質問をしました。労働者の加入する政党です!と胸を張った返事がありました。

それまでの私は政治に関心はなく、私の1票で世の中が変わるものではない、どうにもならない!と決め込んで選挙の投票にも行かない私 でした。この光景に出会った後は充分に判らないながらも政治・経済の世界情勢にも関心を持つように心掛けるようになりました。選挙権のないパリでは叶いませんでしたが、帰国後は公報を読んで棄権することなく投票に行っています。

ある時「自分のことは自分で守る」という言葉に出会いました。パリのイケメンのポリスから信号が赤でも自分が大丈夫、危険がないと思えば渡って良い。“さァ 渡って下さい!”と言いました。何とポリスです。また片道3車線のシャンゼリゼ通りは物凄い交通量です。でもいっとき信号の都合でしょうか車の途切れることがあり、その間に中央分離帯に行き、あとの半分は左右を見て渡り切るという光景を何度も見かけました。命がけの横断です。私も試したことがありますが正直ちょっと快感を味わいました。

食事にワインの欠かせないフランス人。飲まずに料理は食べられません。常に飲酒運転、いわく取り締まるポリスも飲んでいるよ。とのことで飲酒運転での交通事故は聞いたことはありませんでした。

それからは全てのことに「自分の身は自分で守る。そして責任を持つ」という生き方をしたいと思うようになりました。とてもその理想の実現は難しいですが意味の深い言葉をかみしめています。

東 明江

 

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