おぼろげ記憶帖 15 フランスの医者
かかりつけの小児科の話。医者を見つけてランデブー(予約もランデブーなのです)を取ってもらう。ここまでは言葉の出来ない私はフランス人の秘書に頼みます。熱と咳、食欲の有る無しをメモ書きにして字引を2冊持っていきます。今ではもっと便利な電子辞書や翻訳機がありますが当時は大変苦労なことでした。
診察のあと薬の処方箋を貰い、薬と注射液を薬局で購入して、注射を打つ専門の診療所へ別途ランデブーを取ってから行くというシステムになっていました。専門分野に分かれていることはある意味で不便を感じます。ただバカンスで留守になる時は他の医者と薬局の住所が張り出されていることは命を守るという観点から親切で大切なことだと納得感心しています。
風邪を引いて日本人医師の診察を受けました。待合室は立派な応接間で左右に扉があり、入り口から入ってもう片方は診察室の入り口。診察室からは玄関に向かう扉がありました。次の人と顔を合わせることなく診察を終えたら戻らずに帰ることが出来るような間取りになっていました。尤も十分な時間の間隔を取って予約されていますが個人を大事に考えるフランスならではのことと思いました。先生は別の大病院に勤めながらの診察で中々予約が取れませんでした。まさかの時は間に合わず救急車を呼ぶことになるのでしょうか? 多くの患者を短時間で診察してベテランの先生になる日本の医者が多い中で日進月歩の医学を病院での症例を研究、二本立ていうのも日本とは異なる大切なことだと思います。
ある週末夕食を済ませてシャンセリゼへ映画を見に行きました。言葉の少ないアクション映画だったと思います。途中から夫がもぞもぞと動き出し、毛の生えている所が全て痒い。慌てて飛び出しタクシーへ。運転手は我が家の住所を聞き、郊外電車の駅近くの病院へ走ってくれました。お産で有名な病院でした。救急門を通ると電光が走りストレチャーが2台と看護婦さんが何人も走ってきました。金曜日のことだったのでしょう。魚の日でしたからマルシェで買った魚を刺身にして食べたのです。魚アレルギーでした。私は何ともなくて幸いでしたが魚の名前も知らず、日本人はフグという毒のある魚を食べるというからねと言ってなじみの少ない日本人の飛び込み診察に?大笑いでした。
ベッドに入って寝る寸前に1錠の薬を飲む。それは強い睡眠薬で夫は翌日の午後まで竜宮城にいるような楽しい夢を見続けたとのことでした。予備の1錠は捨てきれず長い年月お守りに持っていたようです。1990年代はまだ魚の鮮度が悪かったのでしょう。その後20年経った頃の魚は鮮度も良く種類も多くなっていてマグロのトロをふんだんに食べることが出来ました。フランス料理でマグロは丸のままの筒切り。トロの部分は使いませんのでお安く手に入ったのでした。魚の輸送方法の進歩には驚くべきものがありました。