父の想い出~2. 煙草とウィスキー

父の道楽と言えば煙草を吸うくらいで、お酒は飲まないと思っていました。煙草は、70歳過ぎまで両切りのピースを吸っていた割には長寿でした。

ある日、叔父の家の建前(宴席)で父がお酒を飲んでいるのを見て、飲めるんやと思いました。お酒が飲めないわけではないことは、ずっと後になって叔父から聞きました。

「お前の父ちゃんは、飲めないのではなく飲まないんやで。父ちゃんは、酒も飲みたいし、パチンコだってやりたくないわけやない。そうしないのはお前たちのためや。」と教えてくれました。

就職して、海外出張に出かけることが増えてきたころ、帰国時にウイスキーを買って帰るようになりました。当時はまだ並行輸入という制度がなく、一人3本まで無税で持ち込めたのです。友人たちからも毎回頼まれましたが、1本だけは「親父枠」にしていました。

故郷・新宮は近畿地方という日本の真ん中付近に位置しながら、陸の孤島と呼ばれていました。今でも我が家から、新幹線と特急電車を乗り継いで6時間ほどかかります。忙しさにかまけて何年も帰省せずに、ウイスキーはいつも送っていました。

平成23年(2011年)9月3日、紀伊半島は台風12号により各地で大きな被害を受け、わが家も床上浸水となりました。この時、親父さんは高台にある介護施設でお世話になっており安全でしたが、母一人で家に住んでいました。床上浸水は真夜中3時ころの出来事で、母は、警察官に助けられて近くの小学校まで何とか避難できたのでした。

ずたずたになっていた鉄道の復帰を待って駆けつけてみると、腰の位置まで水が来ていたため多くの家財道具がだめになっていました。サイドボードの中にウイスキーが10本ほどありましたが、すべて捨てることになりました。これらは何年も前に私が送ったもので、すべて封は切られていませんでした。いつか私と一緒に飲むつもりだと言っていたよと、あとで聞きました。

葬儀の時、出棺前にウイスキーで最後の乾杯をしました。綿棒に少しだけ染ませて口につけるだけでしたが。

つづく

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