人声天語3~患者の主張
「人声天語」を始めました。この世知辛い世の中、天の声を待っていてもなかなか降りてきません。そこで、先に人声を発信することにしました。あとからまともな天の声が降りてくることを期待しながら・・・。 |
若いころは、病院で治療を受ける際、病気の原因の判断、治療方針の選択などすべて医師にお任せだった。特に子どもころは、母親について行ってもらうのが当たり前で一人で行った記憶がない。おまけに医師はおじさんかおじいさんと言われる年齢の医師ばかりで皆偉く見えた。
自分が中年以降になると、医師との年齢差が縮まり、自分より年下の医師に診てもらうことも多くなった。同時に医師会や病院の不正疑惑など医学界の”負”の部分も知るようになり、自分の担当医に対する見方も以前とは変わった。さらに、同級生で医師や薬剤師になった多くの友人から裏話も聞くようになった今、何もわからなかった昔とは違う自分がいる。
いろいろな病院でいろいろな治療を受けた経験から、医学を学んだ先生の知識と立場は尊重しつつも、すべての医師が信頼できるとは限らないと思うようになった。患者である自分が医師と対等に話をしてもよいと考えるようになったのはいつ頃からだろうか。親しい友人の医師や薬剤師から仕入れた知識をちょっと披露すると途端に姿勢を正す医師もいることがわかった。
最近は、その医師がどのような人柄か、医師という仕事をどのように感じているのかがとても気になる。世の中、すべての医師に「医は仁術」を求めようとは思わないが、せめて患者を金儲けの対象であるお客さんと思うようなことだけはやめてほしい。そこまでは言い過ぎかもしれないが、機械的に仕事をこなしているような医師はよくみかっける。現実に経験したことなのでつい言いたくなる。
私の場合、今は、すべて医師の治療方針に従う必要はない、こうしてほしいということがあれば遠慮なく言うことにしている。今回の手の痺れの治療では、医師から一度も提案のなかった”首の牽引”をやってほしいとお願いして今続けている。ドクハラ=ドクター・ハラスメント(まだこんな言葉はないが今後できるかもしれない)されないように注意が必要だと思う。
偉そうにしている医者め、かかってこい!
こちとら押しも押されもせぬ患者様だ!
なめてかかると承知しないぞ!
くやしかったら俺の病気を見事に治してみろ!
そうすれば、尊敬もしてやろう!
と思って受診している。