おぼろげ記憶帖 13 フランスの幼稚園

フランスの幼児は3歳から幼稚園に入園できます。我が家では親も子も言葉が出来ません。アパートの1階の肉屋の女の子パスカルは3歳で、息子は3歳半になった9月に入園しました。破傷風の予防注射を済ませた証明書を提出、授業料は無料でした。最初は入り口迄送って行くと親から離れるのが辛くて泣き叫ぶ子も先生にグイと手を引かれて入っていきます。息子は恨めしそうな顔をしながらも泣かずに入って行きました。親としては不安いっぱいの初めての場所へ連れて行かれることを思うと泣きわめかれるよりもほろりとしてしまうのでした。暫くするとどの子もバイバイと手を振って後ろを振り向きながら教室へ入って行くようになりました。片道15分余りの道のりを朝8時半に送って行き、11時半に迎えて家で昼食を済ませて1時半に送って行き4時半にさようならをする。という日課でした。子供は二往復、親は四往復。子供との触れ合いの多いお散歩は楽しくもありましたが時間に追われる子育ての幼稚園の懐かしい思い出です。何しろ幼児語のおしっこはpipiピピ、うんちはcacaカカという言葉さえ私も知らず、9月から12月の間に2度濡れたパンツを持って帰りました。洗って翌日届けましたが充分にお礼の言葉を言うことも出来ずに切ない思いをしました。忘れることの出来ない辛い思い出です。言葉を話すという事の大切さをつくづく感じたのでした。
10カ月で引っ越しをすることになり全く雰囲気の違った幼稚園にスモックを着て通い始めました。キリスト教系の寄宿舎のある女学校の付属で男の子も女の子も一緒でした。先生とシスターがおられました。水曜がお休みで土曜日は行きました。一週間は子供には負担が大きいとそのような決まりになっていましたが後になって土曜・日曜をお休みにする私学も出てきました。cantineと呼ばれる給食も頼めましたし4歳になっていましたので週に2・3回お願いしていました。寄宿舎の小学校の高学年か中学生のお姉さんが一人ずつ付き添って面倒を見て下さったようです。フランス食で育った子供でしたがポパイのほうれん草。熊手のように大きなほうれん草の葉っぱをグタグタに煮てサワークリームで味付けしてあるのですがそれだけはどうにも苦手だったらしく無理やりに食べさせるお姉さんは大嫌いとその献立の時はいつも不満を漏らしていました。
どのようなカリキュラムであったのかは判りません。またどのように過ごしていたのかも良く判りません。ただ子供ながらに緊張の日々だったと思われますが一度も行きたくないと言ったことがないのが親としては救いでした。歌はたくさん覚えてきました。ある日楽焼のお皿を持ち帰り、びっくり。でも裏にちゃんと子供の名前がありましたから間違いはないのでしょう。半世紀たった今も大切に飾っています。ノートに線を引いて“gare”(駅)という文字を筆記体で正しく書く練習をしたり。黒人の女の子とフランス語で喧嘩をしたり。皮の編み上げの靴を朝起きて夜寝るまで履いていましたから運動は余りしてなかったようです。その当時から子供に合わせてのカリキュラムを組んでいたのかも知れません。驚くことの多い幼稚園生活でした。

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