新加坡回想録(60)ホールインワン2
この記事の題名を見ると、えっ!またやったの?とお思いの方がいるかもしれませんが、そうではありません。この事件(?)があったあとの事後報告というか後日談といったところです。
前回、私がホールインワンを達成したことを書きましたが、それに関しての話を少し追加します。この Raffles Country Club は、当時私が駐在していたシンガポールに新しくできたゴルフ場で、メンバー募集の時は人気が高く抽選となっていました。日本人の多くが応募しましたが、当選した人はごくわずかでした。この日の同伴者の一人が、運よくその抽選に当たりメンバーシップを手にしていて、彼の紹介でプレーしたものでした。
新しくできたということは、古いコースと違ってプレーした人数も、回数も当然ながら少ない。ということは、そうなんです。このゴルフ場での最初のホールインワンは私が記録したのです!クラブのマスターにも確認しましたが、それまでにホールインワンを達成した人はおらず、この事実に間違いはありませんでした。
となると、このゴルフ場が続く限り未来永劫、私の名前が残るということになるのではと同伴者の3人が騒ぎ出したのです。私自身は、やってしまったことに自分で驚いてしまってそこまで頭が回りませんでした。その3人はクラブのマスターとしきりにそんな話をしていましたが、結論をいうとそうはなりませんでした。
何故かというと、その日はまだ、オフィシャルオープンしていない期間だったのです。もし、オフィシャルオープン後であったら、確実に記録に残ったでしょうとマスターは言っていました。残念!ということで、会報で少し触れられただけで終わりました。
ついでに後日談をもうひとつ。このゴルフ場の募集価格は、日本円で100万円ほどでした。私を含めて多くの日本人が応募したのですが、抽選で当たった人はそれほどいませんでした。その数年後、なんと10倍の1000万円まで高騰したのです。当時はバブル景気の真っ最中でした。同伴者の1人U氏はまんまとこの幸運をゲットしました。
嗚呼、ホールインワンの思い出よりも、こちらの方がどれほど良かっただろうかと今更ながら思う今日この頃です。
(西 敏)