シンゴ旅日記ジャカルタ編(10) 散歩しながら考える(出会い)の巻
散歩しながら考えるの巻 出会い (2018年1月記)
2018年になりました。私は今年の健康テーマを作り「めざせ2018」と名付けました。
えっ、それはなんですかって。はい、体重の20%である18kgを今年中に減量するのです。
あれっ、これで現在の体重がばれちゃいましたね。そうです、私はメタボリックなのです。
振り返りますと2015年はインドにいて運動不足を解消するために、マンションのジムのウォーキングマシンの上を歩いていました。2016年は3月に日本に本帰国となり、そしてインドネシアへの辞令をもらい7月からチカランに移りました。そして辺りのことを知りたくて早朝散歩を始めました。
しかし、翌年の2017年はお正月の一時帰国からこちらに戻ってからは朝がまだ暗い、仕事で疲れた、二日酔いで眠いとかいろいろ言い訳を作って散歩をサポっておりました。
下のグラフは2015年、2016年、2017年の月別の一日の平均歩行距離を表したものです。
スマホのアプリです。去年は一日1.4kmとほとんど歩いていないに等しい日々でした。
昨年11月に日本で受けた健康診断の結果、運動不足と肥満により健康状態が悪くなってきていることを数字で知りました。それで、体重を落とさねばならないと決断し、年末に日本から戻って来て、早朝散歩を再開することにしました。私の朝散歩では次のコースの組み合わせです。
- 私のサービスアパート前の住宅地。池を半周する一本道コース、通りの名前は湖の名前です。
- 雑木林。森林浴コース
- 雑木林の向こうの住宅地。広いので右回り、左回りとその日に合わせ歩く方向を変えます。
そしてアパートへ戻る時に道路に面した住宅地を通ります。
住宅地の中にある通りにはインドネシアの山、湖、丘、花の名前が付けられています。
自動車道路には昔の王朝の名前が付けられています。
たとえば私の住むアパートの前はパジャジャラン通りです。
西ジャワにあった王朝の名前で、バンドンにある大学の名前にもなっています。
自動車道路で魚の背骨のように中心を走っている通りの名前はタムリン通りといいます。
ジャカルタの目抜き通りと同じ名前です。タムリンとはインドネシアの民族主義者の指導者であったムハマッド・フスニ・タムリン(1894年~1941年)から付けられたものです。
池をめぐる住宅地に入って行くと入口近くの家で犬を何匹も飼っている家があります。
一昨年は3人の若者たちが一人一匹ずつの子犬を連れて歩く光景に出合いました。
しかし、今回はその人数が6人以上となり、犬の数もそれだけ増えていました。
それにその子犬の群れの他に中型犬、大型犬を一匹ずつ連れて歩いている若者にも出会いました。きっとあの家の人はブリーダーをやっていて、儲かっているのでしょうね。
犬の散歩といえば排泄物の処理をしっかりしているかが気になります。
日本ですと犬を連れて散歩する人はちゃんと後始末をする小道具を持って歩いています。
こちらではどうだろうかと気になりました。
その住宅地では犬が用を足すと、連れている人がポケットから袋を出して拾って袋に入れていました。インドネシアも町をきれいにする意識が生れて来たんだ、とその時は感心しました。
しかし、すぐにびっくりしました。犬の○○が入ったその袋を道路脇に置いてそのまま歩いて行くのです。持ち歩くのが嫌だから帰りがけにそれを拾っておうちに持って行くのでしょうね。
ある朝は赤い色、別の日には白い色の袋が道路脇に点々としていました。
でも、ほかの住宅地や通りではまだ犬が用を足してもそのままにして行く光景をみかけます。
インドもそうでしたが、公衆道徳を身に付けるには時間がかかるのでしょうね。
それにしてもあのたくさんの犬を飼っている家の前を通ると犬の鳴き声でうるさいです。
せめて住宅地では一軒に二匹までか、あるいは多くても家族の人数以上の犬は飼わないように規制できないのでしょうかね。
その池をめぐる住宅地の散歩コースは行き止まりのため、その突き当りの折り返し地点はロータリー状の草地となっています。
ある朝、その草地に生えている草を鎌で刈っている人がいました。
私は農家出身なので、子供のころはおじいさんに草刈りの指導も受けました。
鎌で草を刈る時は左手で草をつかんで右手の鎌をその根元にあてて同時に引きます。
右手と左手をシンクロさせることにより右手の鎌で、左手の指や腕を傷つけることがありません。
でもその人は草を手でつかまないで、鎌で草を殴るようにして刈っていました。
これでは草を根元まできれいに揃えて切れず、切り残る茎の高さがバラバラで美しくないのです。
きっとおじいさんが生きていてその刈り方を見たら、「これこれ、こうやってかるのだよ」と指導してしまうかも、と、そんなことを考えながら眺めていました。
そして、私はその男の人が持っている鎌が日本と同じ形状なのか気になり、その人に近づいて行きました。
私 すみません、鎌を見せてもらえますか。
その人 どうぞ。
私 日本にも鎌(サビット)があるのですよ。
その人 それはなんと呼ぶのですか
私 「KAMA」です。どうして草を刈っているのですか?
その人 ヤギの餌です。ヤギを10匹飼っているのです。
私 乳を取るのですか?
その人 いいえ、大きくして売るのです。
私 何年くらい飼うのですか
その人 二年です。
私 一日にどれくらい刈るのですか
その人 この袋に二杯です。
その草を刈る人と別れ、歩いて来た道を折り返して行くと、住宅地の出口近くでエンジン式の草刈り機を持った人たちが刃を回転させながらヤスリで刃を研いでいました。
さっきの人は機械で草を刈り取られて無くなる前にヤギのエサ用に草を手当していたのでしょう。
散歩中には私と同じように歩いている人やジョッギングしている人たちとも出会います。
私の印象では男の人は一人で歩いたり、ランニングしたり、あるいは奥様連れで散歩していますが、女性は一人で散歩する人は少ないようです。
女性は旦那様かお友達と一緒に散歩しながらおしゃべりをしている人が多いようです。
その話声から韓国の人たちが多いことがわかります。
ある時はインド人とわかる中年カップルとすれ違いました。
その時、旦那さんと目が合い「Good Morning」と挨拶されたので、私も英語で挨拶しました。
そして、すれ違って数歩歩いてから、「しまった。今度出会ったら「ナマステ」と返事をしよう」と思いました。
そして、朝ですから日本と同様に新聞配達をする人やパンを配達の人にも出会います。
朝のまだ静かな商店街通りを歩いていた時のことです。
道路横でオートバイを磨いていた人が、立ちとまって見ていた私に「スラマット パギ(おはようございます)」と声を掛けてきました。
私 おはよう。新しいオートバイですね。
その人 はい、ホンダの新型です。
私 なにが新しいのですか?
その人 チューブレスなのです。
私 いくらしたのですか
その人 18.1百万ルピア(13万円)です。
私 分割払いですか?
その人 現金払いです。
私 お仕事は何ですか?
その人 警備員です。
私 警備員ってお金持ちなんですね。私も警備員に転職しようかな。
と言って分かれました。
住宅地の散歩からサービスアパートに戻る途中に大きな庭木が道路に面している住宅があります。
ある土曜日にその住宅の一軒で、たわわに生っているランプ―タンを取っている中年夫婦がいました。
旦那さんが竹の竿を使って実を枝ごとひっかいて落とし、奥さんが落ちた実を拾い集めるのです。
私は立ちどまってその作業を眺めていました。
というのは、これまた私の田舎時代の渋柿取りに似ていたからです。
田舎では竹竿の先を割いて小さな枝を挟んでY字にし、そのY字の割れたところに柿のヘタの先を挟んで捩じって取りました。
ランブータン取りの竹竿の先がどうなっているのかを観察すると、先が割れているのでなく、竿の先には針金がフック状になっていました。
その針金のフックで枝ごとひっかけてランブータンを落としているのです。
その作業を見ていると、ランプ―タンのなった小枝を拾っていた奥さんが「持って行きなさい」と言って取れたばかりのランプ―タンを何本も私に渡そうとしました。
私は一人で住んでいるのですと言って一枝だけもらってそこを後にしました。
次の週の土曜日の同じような時間にまたそこを通ると、ご主人だけが庭に出ていて、ランブータンがまだたくさん残っている木を見上げていました。
私 お早うございます。
おじさん 取ってあげるから好きなだけ持って行け
私 いいえ、ありがとうございます。
翌日の日曜日にそこを通ると奥さんが庭で花に水をやっていました。
私は散歩から帰ってアパートの部屋に戻ると、シャワーを浴びる前に、まずトイレで用を足します。
次に少し汗ばんでいるシャツや下着やランニングパンツを脱ぎます。さらに時計とメガネを外してスッポンポンになります。その恰好で体重計に乗ります。数字が出るまでの間期待します。
体重計の数字をみて一喜一憂し、その数字をスマホのアプリに書き込みます。
「めざせ2018」について良い結果がでればご報告します。
丹羽慎吾