シンゴ旅日記ジャカルタ編(25) シンガポールへ社員旅行(前編)の巻
(記載内容は2019年当時のものです。)
11月早々に社員旅行でシンガポールに二泊3日で行ってきました。
社員の家族も入れて総勢50余名でした。
到着したシンガポールの空港は新しいターミナル4でした。
機内から建物に移るとすぐに手荷物検査と身体検査がありました。普通は出国時に出発ゲートで行う検査を入国してすぐに行うので不思議に思いました。身体検査はあの小さな円形のケージに入って透視される機械です。
検査を終えてイミグレに向かう途中でみながトイレに行き、出てきた社員たちはトイレがきれいであることに感心していました。
またイミグレでは指紋を取る機械にスクリーンが付いていて、そこにパスポートの顔写真が映し出されるなど今までみたことがない新しい設備でした。
皆が入国検査を終えて荷物受取場に一緒に行こうと集まっていると、私と同年齢の現地側取締役が検査中にどこかに連れて行かれたと報告がありました。
同行していた旅行社のガイドにどうなってるのと聞くと『彼の名前がインドネシアの汚職で騒がれているリッポー財閥のファミリー名と似ているので本国照会を受けているのです。』とのことでした。
リッポー財閥は開発した土地(メイカルタ)で県知事を巻き込んだ汚職事件があり、ファミリーのひとりがシンガポールにいたとかで新聞で騒がれていました。
現地取締役が疑われた理由というのは、そのリッポ^-財閥のファミリー名がリアディで、現地取締役の名前はハリアディさんだったからなのです。私たちは先に荷物を受け取り、ロビーに出て取締役を待っていました。一時間ほどすると我が取締役は嫌疑が晴れ私たちのもとに無事戻ってくることができました。
シンガポールでの日程は初日が市内観光、二日目がユニバーサル・スタジオ・シンガポール(USS)見学、そして最終日は朝から自由行動で午後にホテルに集合しバスで空港に向かうと言うものでした。
空港で時間を取られたため、昼食前の市内観光の時間がなくなり、レストランに直接向かいました。昼食後はGardens by the Bayに行き集合写真を撮ったあとに20分くらいの自由行動時間がありましたので、私は家族連れや夫婦で来た社員の邪魔をしないよう一人で歩きました。Gardens by the Bayには大きなドームの植物園がありましたが、今回は時間が無くて入ることが出来ず外からドームの中を覗きこむだけでした。
バスに戻る時間が迫ったので集合場所の方に向かいましたが、同じような景色ばかりで道に迷ってしまいました。私の携帯にはスタッフから早く戻って来てくださいと連絡がありました。
私は通りかかった女性係員に観光バスの乗り場がわからなくなったので教えてほしいと頼むと、彼女は親切にその乗り場近くまで案内してくれました。さすが観光立国シンガポールですね。
みなと合流すると今度はマリーナ・ベイを海を挟んで眺める場所に行きました。
その後は定番のマー・ライオン見学となりました。バスが黒いラッフル像のある博物館の前に駐車させたので、ラッフル像の前で記念写真を撮り、歩いてシンガポール・リパーに掛かった橋を歩いて渡り、マー・ラインの広場に向かいました。
そのあとはインドネシア人が好きだと言うチョコレート屋さんと観光客相手のお土産屋さんと二軒続けての買い物ツアーとなり、そして夕食を取るレストランに向かいました。
レストランにはこれまた売店が併設されており、店の人が我々に番号のついてシールを上着に貼って行きました。これは旅行会社かバス会社に売上の手数料を払う目的だったでしょうが、食事前に買い物を済ませていたので誰一人として売店に立つものがはいませんでした。
私たちが宿泊したホテルはインド人が多く住むセラングーン・ロードの近くにある団体旅行客専用の小さなホテルでした。私の部屋は狭いシングルルームで、バス・ルームに浴槽はあるのですが、長手方向と短手方向の一方がコの字方に壁になっており、もう一方の短手方向から浴槽に入るという窮屈な造りでした。
シンガポール旅行二日目です。
その日はユニバーサル・スタジオ(USS)にバスで直行し、10時から17時までそこで過ごす予定でした。でも、私は夕方に皆と別れてシンガポール住む娘と食事をすることにしていました。
USSでも私はひとりで歩いていろんなアトラクションを見ました。
各アトラクションへの料金はすでに入場料に含まれているので無料でしたが、人気のあるところは一時間以上の待ち時間となっていました。映画会社が作った遊園地なので映像やアクションが満載でした。ちなみに私は日本のユニバーサル・スタジオに行ったことがありません。
私が駐在していた頃のシンガポールの観光スポットと言えば、セントサ島、小さなマーライオン像、植物園、チャイナタウン、オーチャード・ロードのプラナカン、ラッフルズホテル、シンガポール博物館などで、テーマパーク的なものはハウ・パー・ヴィラ(旧タイガーバームガーデン、1937年)、バード・パーク(1971年開園)、タン・ダイナスティ(中国時代劇映画村、1992年開園、1999年閉鎖)、ナイト・サファリ(1994年開園)、それに加えて中国庭園/日本庭園やワニ園もありました。
17時にイースト・コーストで娘との夕食の待ち合わせのため16時に部下二名とUSSを出ました。
セントサから本島への移動は、朝はバスで橋を渡ってきましたが、帰りは昔、乗ったゴンドラで戻ることにしました。しかし、どの乗り場からゴンドラに乗れば良いのかわかりませんでした。
島内にモノレールが走っていて、ゴンドラ乗り場がどの駅からでるのかよく分らなかったのです。
モノレールは無料でしたが、ゴンドラは往復チケットを買わねばならないと言われちょっと高い出費となりました。
ゴンドラから見下ろすと、セントサ島が埋めててられているのでしょうか、本島とセントサ島の間の海の部分が狭くなっていました。
マウント・フェーバーでゴンドラから下りて、タクシー乗り場を探し、イーストコーストに向かいました。
タクシーの運転手はかつて日系の船会社のコンテナー関係の仕事をしていたという60歳を超えた人でした。運転手さんはタクシーを始めて間がないが、GPSで目的地がわかり、スマホで予約が出来るので経験が必要ないと言っていました。そして、シンガポール政府は頭が良いよねと言うので、私は駐在時に覚えた政府批判のシャレを思い出し、与党の人民行動党(PAP)の略語は『Pay And Pay』や『Poor Also Pay』 の頭文字だよねと言って笑いをとりました。
イーストコーストのレストランへはちょっと遅れて着き、先に来ていた娘と合流しました。
娘はその店に友達とよく食事をしに来るらしく、女性副店長と顔見知りで、大きな蟹を注文するとその副店長は親切に殻を割って私たちのお皿に身を分けてくれました。
部下二人と娘はほぼ同年配なので楽しく語り合い、美味しく食事を終えました。
また私は最近購入した360度カメラで食事風景を撮って楽しみました。
食事後は娘と別れ部下とホテルに戻りました。
その日は日曜日で、二日後にはインドのデバリ(燈明祭り)でしたので、ホテルの近くの大通りはアーチ状に色鮮やかなイルミネーションが飾られていました。
ホテルに一旦戻ったのですが、部下のひとりが夜の町を歩きましょうと言うので私もホテルの外にでました。そして、二人して片道一キロほどの通りをほろ酔い気分で歩きました。
通りを歩いている人、商店で買い物する人はすべてインドの人たちばかりでした。
ですから店の名前にチェンナイやマドラスが付けられているがいくつかありました。
シンガポールおよびマレーシアのインド人たちは歴史的にまた地理的にも南インドのタミール人が多いのです。よく言われるのはマレー半島がポルトガルや英国の植民地時代だったころにヤシ園やゴム園で働く労働者として南インドのタミール人が連れてこられたというものです。
二日目が終わり、最終日の三日目は後編に続きます。
丹羽慎吾