シンゴ旅日記 特別寄稿 帰国者のボヤキ(その2)の巻
朝の6時半に予定通りに飛びたった飛行機は午後3時半に予定通りに成田空港に着きましたんや。
私は出発してすぐに出た弁当、ちゃう機内食を食べただけでこの3週間の連日の送別会の飲み疲れのためにあとはずっ―と寝てましたんや。そやから途中で配られたチーズとハム入りクロワッサンを食べ損ねてしまいましたわ。
そうそう搭乗したらすぐにコロナ関係の書類を二枚渡されたんで必要 事項を記入しましたで。機内の搭乗客の割合は3割でしたわ。インドネシアの人が多かったんでっせ。そうそうそれに大変ですわ。機内が寒かったんですわ。私はTシャツにジャケットを羽織っただけでしたんでフィリピン上空を過ぎたあたりから鼻水がでてきて往生しましたわ。マスクと鼻の間にハンケ チを挟んで水分を吸収させたんやけどすぐに鼻先が冷たくなるんで何回もハンケチをずらしたり折り 返したりして水分を吸ってへんところを鼻に当たるようにせなあかんかったですわ。それに台風が日本に近づいてるせいか寝ていても時々大きな揺れで目をさましたんですわ。
先を急ぎまっせ、3時 半に成田に着きましたら機内アナウンスがありましてな検疫のために機内で待機してくれですわ。
そんでしばらくするとまたアナウンスがあって国際線乗り継ぎの人が先に降りて検査を受ける、そして帰国者は2番目やとのことでしたわ。そんで一時間も機内で待ちましたで。けど大勢のインドネシア の人たちが先に出ていきよったさかい CA が私の近くに来たとき「あの人たちは乗り継ぎの人ですか」と聞くと「そうです、アメリカです」との答えでしたわ。今どきにインドネシアの人がアメリカに何しにいくんでしゃろな。まあそんな詮索せんでええか。そんで帰国者が降りる番になりましたわ。私は機内で一番うしろの席に座っておったんで一番最後に出ましたわ。機内から通路に出ると人々が壁際に一列に並んでおったんですが私は機内から私の前を歩いて行く人について行って並んでいる人の列の横を素通りしていったんですわ。そしたら動く歩道がある広い通路に係の人がいて検査場はあちらですゆうたんでそっちの方に歩いていきましたんや。私の前を歩いていた人は動く通路に出たときに検査場と反対の方向に歩いて行ってしましたんや。そんで検査場に向かう通路にはイスが窓側に間隔を置いてぎょうさん並んでましたわ。けど誰も座っておらんかったですわ。その並んだイ スの先が検査場の入り口で机があって二人の人がいるのが見えました。けどそこまで私たちを案内してきた人が私に「すみませんが降りた順番で検査場に入ってください」ちゅうてさっき私が追い抜いてきた人達を先に通すように言わはったんですわ。あれっなんでや、と思って案内してきた人に
「私は機内から私の前を歩いいた人について来ただけです」というと「あの人達は航空会社の人ですから」と言われました。あちゃー、それならそうとはよう言ってもらわんと困りますがな。私は息を 切らして老骨に鞭打って急いで検査場に向って歩いてきたんが無駄骨に終わりましたがな。まぁ、ええですわ。そんで降りてきた人たちが私の目の前を通りすぎてその一番あとに検査受付に行くとプラスチックの小さな試験管とジョウゴちゅうかロートを渡されました。私はPCR 検査が鼻に棒を突っ込んで調べるもんやと思っていたら違うんですわ。そんでまた歩いていくと選挙の時みたいに仕切 ったブースがあってその中でその試験管に唾液を入れてくださいと言われたんですわ。ブースの中 の壁には選挙人名簿の代わりに梅干しとレモンの写真が貼ってありましたわ。私はその写真を見ながら何回も唾液を絞り出してはブースの外の立っていた検査官と「これでいいですか」「まだ足りません」「まだだめですか」「もっとです」「これで十分でしょう」「まだです」「もう出ませんよ」「あと一回お願いします」というやり取りをしてやっと終わってブース横の机のところの検査官に試験管を渡したんですわ。すると検査官は機内で記入した質問票に番号の書いてあるシールを貼って下の待合室に行ってくださいといわはったんですわ。私たちが到着したフロアーは4階でしたんや、そんで3階に降りていくとそこは大きなホールみたいなところでしたわ。
降りてすぐのところに一列で透明なプラス チックカーテンで仕切られたカウンターがいくつも並んでおりましたわ。そしてその広いホールにはイ スが卒業式みたいに仰山きれいに並んでいて NHK の歌合戦みたいに座席の合間に A、B、C ちゅう文字の書いた立て札が立ってましたわ。
私はそのホールに降りて一列に並んで順番待ってカウン ターにいくとそこで質問表に書いてあることを確認されて「今日はどこに泊まりますか」かと聞かれま したんや。私は会社が指定したホテルに泊まることになっていましたんでそのホテルの名前を言うと「そこまではどうやって行きますか」と聞かれたので「バスが出ていると聞いています」と答えると「それは帰国者専用のバスです。空港のこの出口から出ています」と空港からの出口を示したパンフレットを渡してもらいましたわ。
そして A-33と書いたシールを質問表に貼られそこで座って待つように言われましたんや。帰国者は公共の交通機関の利用が禁止されてますんや。家族が迎えに来て自宅で待機するか、帰国者専用バスで指定のホテルで待機生活を送るかなんですわ。そんで私は A の立て札のあるところに行きましたんや。そこは一列に並んだイスの一つ置きに番号が書いてあり私は33の席に座りましたんや。
そのホールの写真を撮ろうとしたらあちこちに「撮影禁止」の貼り紙がしてありましたけどその貼り紙を見る前にスマホで1枚写真を撮ってしもてましたわ。すんません、その写真はお見せできません。なんせ機密扱いやさかい。見せたら私は国家機密法漏洩違反で逮捕されてしまうさかいな。
その待合ホールでは2時間も待たされましたんでっせ。5分置き位に10人ほどの人が番号を呼ばれて立ち上がっては次の場所に行くんですわ。私は鼻水をかんだティッシュをホールの隅に置いてあるごみ箱に何回も捨てに行きましたわ。検査結果を待ってる間にインドネシアの会社や本社の関係者や友人や家族に安着と検査待ちの状況をラインやメールしましたで。
私たちのフライトがその日の最後の方のやったんやろかB、Cの人たちがだんだんいなくな っていきました。そして A グループの私の前の番号に座っていた人たちも番号を呼ばれていなくなっていきました。検査場に入って2時間後の6時半にやっと自分の番号も呼ばれて席を立ちましたわ。歩いて行って次の場所で一列に並んで待つとパーティションの向こうに机が2つがあり二人の検査官が向かい合って座っていて結果を教えてくれたんですわ。私は鼻水が出てましたんで風邪の症状が出てPCR 検査で陽性と間違えられへんやろかと心配でしたんやけど陰性の証明書をもらえましたんや。ありがたや、ありがたや。ああ守屋浩も亡くなってしもたんですね。僕の恋人東京へ行っちっち。すんません。
そんでやっと荷物を受け取るコンベアところへ行きましたんや。ジャカルタからの便の荷物は一番端っこのコンベアでしたわ。荷物はちゃんとありました。そんでジャカルタの空港で確認できたように1台の カートに荷物を全部載っけてみどり色のカウンターを通りました。
私のギターケースを見て係官が「ミュージシャンですか」と聞きました。この顔がミュージシャンに見えますか?これから旅行するとき はギターケースもって行ったろかな。そんで私は税関を終えてロビーに出ましたがな。9か月振りの日本ですわ。ああ秋の日本、ああわが祖国ですわ。
帰国者用バスに乗る前に荷物を岡崎の家に送るべく宅急便屋さんを捜しました。というかロビーのインフォメーショのお嬢さんに聞きましたんや。すると建物の端っこにあると教えてもろたんでそこまでカートを押していきました。
すごいもんですね、きょうびの印刷技術は。宅急便の伝票の一枚に届け先を書いただけやのに荷物分の個数の伝票がすぐに出来てきましたんやで。伝票って一個分でも何枚かの感熱紙でっしゃろ、なんで伝票一枚にしか住所を書いてへんのに複数の感熱紙の伝票におんなじもんが印字できるか不思議に思いましたんや。
そんで理由が知りたくて聞くとそういう機械があるんですと言ってその機械を指指してくれま した。へぇー。確か家で嫁さんが宅急便を出すときに荷物の個数分の伝票をせっせと書いていたのになあ、私も荷物分の伝票を書く心つもりできたので嬉しい拍子抜けでしたわ。
そんで荷物預けて手が空いたんですぐに嫁さんにラインでそんな機械があるんやでと連絡しましたがな。そしたら嫁さ んから「へぇー」ちゅう返事とともに伝票を写メして送れって指示してきたんですわ。しっかりしてまっしゃろ、うちの嫁さん。
そやそやここでもギターケースを見て私にギタリストですかって聞かれましたわ。私がプロの音楽家に見えたんかなと思たんですが、そうではのうて高額な楽器は30万円が補償の限度だからのようですわ。やっぱり私は音楽家に見えへんのかなあ。
私は荷物が少のうなったんで次はインドネシアで両替してきた日本円を銀行に預け入れようと私の口座のある銀行の ATM を捜したんですわ。他の銀行の ATM は一階のフロアーに何台もあったんやけど私の銀行のが見当たらなかったんでまたインフォメーションに行ってさっきのお嬢さんに聞きに行ったんですわ。するとお嬢さんは「4階です」と教えてくれました。
あまりに親切だったんで思わず「帰国者用のバスはどの 出口から出ますか」と知ってたことをつい聞いてしまいましたがな。するとお嬢さんは A3用紙に地図の書いてあるもんを使って「あそこの看板の下のエレベーターで4階に行って左に銀行のATMに 行ってまた1階に降りて左に曲がって、、、」と親切丁寧に説明くれはったんですわ。ええですなあ、 日本のインフォメーションのお嬢さん、めっちゃ親切やわ。
そんで私は4階のATMに行ってついでにひとけのない出発ロビーの写真を撮って1階に降りて帰国者専用バスの乗り場に行きましたんや。それからが今回のボヤキの始まりでんがな。
あかん、ボヤキが始まる前にようさんしゃべってもうたんで、のどが渇いてしまいましたがな。続きはまたにしますけどな、ちょっとだけ言わせてくださいな。 帰国者専用の無料バスは朝の 9 時 15 分から夜の 23 時 15 分まで出てまんのやけど一時間置きなんですわ。間が悪うて私がそこに行った時は7 時15 分のバスが出発したすぐ後でしたわ。そんでまた空港の建物の中に戻って待ち時間ですわ。そして8 時15 分のバスに乗ってホテルに着いたんが夜の9時前でしたんや。
そんで本当にボヤきたいんはホテルに入ってからのことですわ。でもあれでんな、日本の技術はすごいもんでんな。空港で自動警備ロボットを見ましたんや。ガランとした空港の床の上を「こちらは空港の警備ロボットです」と声を出しながら動いてましたで。
ほな私のボヤキは後からお話しますわ。いったんこのラインのビデオ通話を切りますわな。鼻水が出てしょうがおませんねん。それに荷造りしてたんで腰も痛うなってきたんですわ。
(その3に続く)
丹羽慎吾