荻悦子詩集「時の娘」より「アダージョ」

アダージョ

 

粘りついて重ったるい
アダージョ
こんなふうに
弦を撫でまわしてほしくない

街で
子連れの女乞食を
何組も見た

色石の象嵌の鮮やかな
大聖堂の大理石の壁際に
乳呑児が古布にくるまれて眠り
裸足の子供が
コークの缶を握りしめて歩いていた

露店で
岬の家並みと海を描いた小型の
寄せ木の壁掛けを一枚だけ買った
絵葉書を出すあても思い浮かばないのだった

オルガンの音が
階段を踏みはずし
コントラバスが倦まず絡みつく
アダージョ

無花果の枝葉が
テラスに伸びてきて
甕にはグロキシニアが溢れている

何も
何も
終わりはしないのだ

真昼間も
紗をとおして注いでくるような
いくぶん白っぽい
トスカーナの光のなかでは

荻悦子(おぎ・えつこ)
1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

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