追憶のオランダ(47)日蘭交流400年
日蘭交流400年を祝う行事は、日本・オランダ双方でいろいろ企画され実施されたようだ。私はそのごく一部、オランダでの行事を目撃し、参加できるタイミングでオランダに住んでいたので、ほんの少しご紹介しよう。
400年と一言でいうが、何年から数えて400年なのか?これはどうもはっきりしない。
多分、多分である。5隻のオランダ商船がロッテルダム港を出港した時点1598年6月が一つの起点。だが、出航時点ではバタビアに向かう予定であったはずで日本などは眼中になかったはずだ。それが運命の悪戯で、偶然にも途中嵐で僚船も失い漂流して豊後の臼杵(現在の大分県臼杵市)に漂着した慶長5年3月(1600年4月)がもう一つの起点となる。因みに、慶長5年と言えば、その年の秋に関ケ原の戦いが起こる。実際は、日蘭がお互い初めて出会ったのは後者の1600年ということになろうが、そんな細かいことはどうでもいい。
それで、ロッテルダムでは1998年からはいろいろな行事が予定されていた。昔出航した6月27日にはロッテルダム港では、市が主催するデリーフデ号出航を再現する式典が開催された。この写真の中央に当時の衣装の男性とその横に、オランダ側での400年の起点である1598という数字が見える。もっといい写真が撮れていないことが返す返すも残念。当時は、まだデジタルカメラがなかったので、フィルムを現像するまでどんな写真が撮れているか確認できなかった。今なら、何度でも撮り直しができるのに・・・。
また、特に日本人コミュニティーでも、ロッテルダム・ジャパンクラブなど日蘭の企業関係者などで祝賀パーティーなどいくつもの行事が催された。ロッテルダム日本人学校生徒たちも一役かって、6月17日に招かれたロッテルダム市庁舎で日頃練習していた和太鼓「マース川太鼓」の演技を披露し、集まった多くの日蘭関係者の盛大な歓待をうけた。余談だが、中央の法被姿がわが娘。