追憶のオランダ(17)漆との出会い
漆との出会い、これは私のオランダ生活の中で、また私の人生の中でも最も大きな出会いの一つでした。もちろん、子どもの頃から生活の中で漆器に触れる機会は多少なりともありましたが、それは年数回あるかなしかでした。その漆器は正月に使う重箱とか椀・盃の類で、日常使う椀や箸などは一見漆塗りのように見えても実際には漆塗りではなかったように思います。そのような日常生活ですから、40歳を過ぎてまさか自分が漆を使って器物を作る、そして自分でそれを日常に使うことなど想像することも出来ませんでした。しかし、それが日本国内ではなくオランダという外国に来て現実のものとなったのです。これまでこのことを友人たちに話すと、皆一様に「なぜオランダで漆なの?」と怪訝な顔をされました。今後も、多分そうでしょう。
しかし、そのきっかけは実にくだらないところに転がっていたのです。それは、当時使っていた餞別にと頂いた本物の漆塗りの箸の先をふとした拍子に噛んで少しですが折ってしまったのです。しまったと思ったが、後の祭り、しばらくの間は別の安物の箸を使っていましたが、どうもしっくりこず、かと言ってオランダですからすぐに代わりが手に入る訳もなし。そして、それから何か月かの後のこと、たまたま見ていた地域の日本人コミュニティー誌に、「漆塗り教えます。」という小さい広告が出ていたのを発見したのです。深く考えるより先に、「これだ。」と、躊躇わずすぐに申し込み、習い始めることにしました。そして、まず折れた箸の修理をしたいと先生に申し出ました。しかし、今まで漆そのものを見たことも触ったこともない素人ですから、そんなに簡単ではありません。我が家からは車で3-40分ほどかかるハウダ(Gouda)に近いところまで殆ど毎週土曜日、嵐の日もせっせと通い、基礎的な事を教わりつつ、念願の箸の修理もそのうちにできました。ほんとうに初歩の初歩から教わり、約1年半ののち私のオランダ勤務が終わり帰国する頃までには、何とか漆を自分で扱えるくらいまで仕込んで頂きました。先生は、オランダに移住された日本女性で、西出毬子さんという方です。その後も、先生には折に触れアドバイスをもらっていました。
ということで、もう20年以上漆との生活をしていることになります。その間、作ったものは箸・匙・大小さまざまな皿・椀などのシンプルな日常使いの雑器類が主ですが、知り合いに差し上げたりして大いに喜ばれています。私の作品は頑丈が売りですが、もし傷とか壊れるようなことがあった場合には、私が生きている間は無償で直しますという保証付き。ですが、幸いなことに差し上げた方々からは未だに直しを頼まれたことはありません。壊れていても面倒だから、または遠慮されて直しを頼まれないのかもしれませんが。もともとはこうした日用雑器を作ることに興味があったのですが、ここ10年くらい前からは、蒔絵・螺鈿などの加飾技法も加えたものも始め、また蒔絵による絵画作品も手掛けるようになっています。
オランダでの短い間に、幸運にも東京芸術大学で最近まで漆芸の教授をされていた三田村先生とその御子息ともお知り合いになり、さらに帰国後は同教室の面々とも知り合うことができ、私の漆の世界が一挙に広がることになりました。左の写真は、オランダ時代に三田村先生から頂いた色紙で、「漆三昧」と書かれています。そんなご縁から、毎年東京芸術大学の公開講座で漆の講座があるときは必ず受講するようになりました。そして、そこでも新しい同好の知り合いができ、漆を通した世界がさらに広がってきました。オランダでは土曜日は朝から夕方まで漆塗りの作業をして、それから飲み始め漆談議に花を咲かせながら皆深夜まで、そしてベロンベロンになるまで飲んだことも度々で、今も懐かしく思い出します。
人生、何がきっかけでどんな人やものに出会うか本当にわからないものですね!
宮川さんの場合は、「漆」という純日本風なものとの出会いが海外であったというのですから不思議な話です。こういうことを奇縁というのでしょうか?
そしてそれが、その後何十年も続いていき、新たな人との出会いにも繋がっていったのですね。
偶然のようでもありますが、ひょっとしたら必然だったのかもしれないと思うのは私だけでしょうか。
必然の意味ですか?それは・・・
もし、箸の先が欠けることがなかったとしたら、きっと塗りのお椀に傷がいったと思います。そして、タイミングや方法は別にしてもきっと同じ先生に出会うことになったでしょう!4次元の世界で途中運命がネジ曲げられても、結局は同じ結果になるということが多いと思います。
私なら、欠けてしまった塗りの箸を、(人からの贈り物なら)大事に取っておこうとは思ったかもしれませんが、自分で直そうとは思いもよらなかったでしょう。
(八咫烏)
コメント有難うございます。
私が、日本ではなくオランダくんだりで日本の漆にであったのは、多分その時私は「日本に飢えていた」からではないでしょうか。日本に対して何か渇望するものがあったということでしょうね。小さい日本人コミュニティー紙に目を通すことなどあまり考えられませんでしたが、それがなければ、漆とは多分出会わなかったでしょう。それと、私自身「根っからの貧乏性」で、先の欠けた箸を何とか直して使おうといういじましさ、それと「手仕事が好き」ということか。それはまさに、漆にピッタリはまる。
最近のものは、なかなか修理して使うようには考えて作られていません。壊れたら、それでおしまい。
しかし、昔からの漆のものは、傷めば、キチンと直しがきく。直せば、むしろ以前より堅牢にさえできる。
艶がなくなっても、ちょっと手を入れるだけで、元の艶が蘇る。これは、別に誇張して言っているわけではありません。漆を使う金継ぎにしてもそうです。割れた陶器・磁器を漆で継ぎ合わせ、欠けた所は漆で補って、またもとのように使おうという精神。物によっては、割れる以前よりも価値が上がる(?)ことだってあるのです。日本ならではのものです。西洋にも、似た修復術はありますが、それは実用には耐えず、見栄えを重視して復元するという考え方。日本の金継ぎなどとはやはりちょっと違います。
そんなわけで、我が家では、私が漆を始めた時の20年以上前の自作の器がいっぱいです。作ったものがそう簡単には壊れない、壊れてもすぐ修復して元通りになる、ということで数は減りません(笑)。
つい、脱線していろいろ書きました。
これを見て、私のように、誰か漆にはまる人が現れてくれれば・・・。
宮川
なるほど、漆というものは奥深いものなのですね。
時々、テレビで、伝統的な日本の工芸についての紹介番組を見ます。歴史の流れの中で、文明化、大量生産化などからこのような価値ある日本の伝統工芸が失われつつあります。実際にこの種工芸を守り続けている人は既に60歳代から70、80歳代という高齢者が多く跡を継ぐ人がいない。珍しくいたとすれば、それは、日本の伝統工芸に価値を見出した外国人であったりします。
後を継ぐことが出来る人を切望する宮川さんの気持ちはわかるような気がします。勉強になりました。