十男の父①その収入

父は86歳で亡くなったが遺した手帳に末っ子十男・ボクの高校・大学時代の仕送りなど要したお金の詳細が記してあった。

昭和39年度 155,470円 高校1年
昭和40年度 137,300円 高校2年
昭和41年度 184,400円 高校3年
高校計  477,170円

昭和42年度 300,800円 大学1年
昭和43年度 242,800円 大学2年
昭和44年度 241,400円 大学3年
昭和45年度 428,000円 大学4年
大学計 1,213,000円

初めて見る数字で10円単位まで細かく丁寧に記していた。高校時代の仕送りは1か月平均1万3,000円。昭和40年前後、日本人のサラリーマンの月給が5~6万円くらいの時代なので普通の農家の我が家では相当の負担であったはず。

ボクの自宅近くに高校分校はあるが過疎化が進み廃校が噂されていたから、高校希望者のほとんどが町外に出た。「子供は高校だけは出そう」という時代になっていた。ボクもその一人だ。自宅から40キロ離れた益田市の県立高へ入り下宿することになった。バイトなど認められない時代で、4畳半の部屋、2食付き。授業料、教科書代、小遣いなど、全額 親の仕送りだった。

高1の夏休み、農業のかたわら団体職員をしている父の勤め先に行く用事があった。不在の父の机上に、たまたま父の報酬明細書がある。悪い気がしたが、恐る恐る覗いてみた。驚いた。1か月の父の報酬手取り額は僕への仕送りの額とほぼ同じだった。

父はその時56歳、非常勤とはいえ、その団体の長だった。正直言って、その数倍くらい報酬があるとボクは錯覚していたのだ。父が集めた現金1万3,000円――世の中を甘くみるにもほどがある、身にしみた。

毎月の仕送りは現金封筒に印鑑を3か所丁寧に押し、中にいつも1枚の便箋「無駄遣いをしないよう、勉強がんばりなさい」1行だけ、あった。

ボクは年を重ねても、手帳に記した仕送り額とあの夏の報酬明細書は忘れられない。

(吉原和文)

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