おぼろげ記憶帖 24~朝市 マルシェ (1)
1964年は東京オリンピックが開催され、新幹線の走った年でした。その頃まだECではありませんでしたがフランスは農業国である上に陸続きの近隣の諸外国から運ばれた野菜や果物その他食料品だけではなくあらゆる品目が輸入され、豊富でした。火曜と金曜、又は水曜と土曜又は日曜と大抵は週2回朝市マルシェが開かれていました。広場にテントと屋台が前日の午後に準備され、朝市が終わる昼頃にはすっかり取り外され綺麗に洗い流されて、あの賑わいが嘘のように消えて片付けられひっそりとしてしまいます。屋台は3・4歳の子供が下の隙間をくぐり抜けて走るとどこまでも走って行ける高さでした。息子は繋いだ手を離すとすぐに居なくなり日本人の子供など見たこともないという周りの人達から白い目で見られ困り果てました。その頃猿回しよろしく犬のような紐鎖が育児用品として日本にはありました。船便はスエズ運河を経由して45日掛かっていました。その紐を付けたら興味深々のフランス人に何と言われるか?ぞっとします。色々なものを送ってもらってはいましたがこれだけは断念したのでした。食料品の殆どはこのマルシェで調達できます。大きなキャリーを引いて行きます。日本と違って買い物の単位が大きいのです。果物は500g、(1リーブルとも言いました)1㎏が基本です。茄子やきゅうり、ズッキーニ、トマトも計って買います。じゃがいもは何種類もあり麻袋のまま買って行く人もあり
驚きました。戦争やストライキの経験のある人たちは常に食料を備蓄して置くという心構えがあるのかもしれません。冷凍・冷蔵の技術がまだ十分でなく、海から遠い内陸で新鮮な魚は手に入りにくかったのです。でも金曜は魚料理という習慣がありマルシェで求めることが出来ました。鮭・イワシ・サバちょっと身の柔らかいタイ。タラは何種類もありましたが私には馴染みの薄い魚で最初は困りましたがだんだんにフランス料理風に作ることが出来るようになりました。