おぼろげ記憶帖 30~日本人とのお付き合い (2)
すずかけ(マロニエ)の会 在仏日本人と日本に住んだ経験のあるフランス人・日本と何かの関係のあるフランス人の会合です。月一回それぞれお料理を持ち寄っての親睦会です。少し言葉が出来るようになり、生活にも慣れてきたからとその会で一番に人望のあった方の推薦でフリーパスで参加させてもらいました。その方は最初の駐在の時から何かにつけて教えて頂き、頼りに頼ってお世話になっていました。入会したくても中々条件が厳しく3人の紹介者が必要で、その上会長の面接があることになっていたのです。そのことを後になって知り、周りから羨ましがられ、幸せなことでした。ちょっとしたハイソサエテイーの会で帰国後は日本人だけで集まっておられましたが私が参加することはありませんでした。
この会の活動の一つに日仏の人が集まりフランス語で会話を楽しむ会がありました。楽しむというよりは教えて頂くという感じでした。日仏で交互に部屋を提供することでフランス人の家庭を垣間見ることが出来たのはまた別の収穫でした。時間と場所を正確に電話で伝えるには言葉不足で私は部屋の提供係でした。家庭料理を教わり、TGVでルマンの別荘へ行きアプリコットジャムを作ったこと、一泊旅行で古城と魚の博物館へ行ったことなど懐かしい思い出です。
大使館 お正月にお年賀に伺います。これも各社のトップの人達だけです。平成の時代には相当数の日本人が暮らしていましたが大使館に登録することもなく長い滞在になってパスポートが期限切れで再発行依頼の時だけお世話になっていました。私も一度再発行をお願いしたことがあります。個人的には災害や危険な事件が起こりませんでしたから救済を受けることもなく幸いなことでした。仕事の関係では各社が集まり懇談会が催されていたようです。旅行者がパスポートの盗難に合った時はすぐさま大使館へ。フォンテンドブローの森で得意先のお嬢さんが行方不明になり亡くなって発見された時、またアフリカで操業していた漁船の船員が病気で亡くなりパリまで運ばれてペールラシエーズの墓地で荼毘に付したこと、ドーバー海峡付近で領海侵犯を犯したマグロ船で大騒ぎをしたことなどは大使館のお出ましでお世話になったのです。
一般人と大使館員とは全くお付き合いがありませんが いざ!という時にはやっぱり駆け込み寺なのでしょうか?