おぼろげ記憶帖 29~日本人とのお付き合い (1)

パリの日本人社会は段階・グループ社会です。先ず赴任してきた家族も旅行者もシャンゼリゼ通りのカフェ “フーケ”の近くの「日本人会」へ行きます。どういう組織になっているのかよく知りませんが在仏の会社が費用を分担しているのだと思います。困ったこと・知りたいことなど教えて貰えるちょっとした駆け込み寺です。そこでフランス語の初歩の教室やテーブル花やボビンレースを教わったという人もあり、その中で情報を交換し合ってグループのお付き合いが始まります。大使館員の家族は民間ではないという事で一般人とのおつきあいは全くありません。商社の婦人会も各社のトップクラスの人だけが集まり若い人たちはまた別のお付き合いです。

「朝の会」は月に一度日航ホテルで開かれる講演会。お世話役が何人かおられましたがその人達の人脈のお蔭で多くの知名人の講演を聞くことが出来ました。パリ在住の人にお願いするのも大変だと思いますが旅行で来られる方をキャッチして早くから準備が出来るというのは並みのことではないと感心しながら聞きに行っていました。作家の野坂昭如・岸恵子・ポスター作家の里見さん・NHKの磯村さんなどすっかり忘却の彼方になって残念ですが、いつもたくさんの日本人が集まり盛会でした。

赴任して最初に声を掛けて下さったのは「美術の会」。5人の集まりで美術館へ日本人の画家さんに案内と説明をしてもらうというグループです。どなたかが日本へ一時帰国され欠員が出来てそのピンチヒッターでした。謝礼の分担金が多くなるのです。この先生のグループがいくつかあり時々欠員が出ます。私も滞在中の7年半お世話役をしていましたので穴埋めに困ることがありました。それで見ていない展覧会で都合が良ければひと月に2度も3度も喜んで参加してどのグループが本命?と言われもしました。ルーブル美術館の友の会にも登録し、またこじんまりした美術館も巡りかなり沢山の美術品を見ることが出来ました。中学校の図工程度の知識しかありませんでしたがお蔭でかなり成長したようです。奥様が日本人会に勤務なさっていましたので帰国後もご夫妻とは親しくお付き合いをさせて頂きました。日本で個展を開かれることもありました。2年前のクリスマスに電話を頂いて以来電話がつながらず、手紙も届いたのかどうか返送もなく、消息を知るすべがなくて心を痛めています。お二人とも同じ年ごろなのです。お名前は館野先生、そしてご夫妻には感謝の気持ちで一杯です。多分もうお目に掛かれる機会はないであろうことは寂しく切ない思いでいます。

(写真はルーブル美術館の入り口です。)

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