おぼろげ記憶帖 23~パリ革命 (3) ベルギー旅行

パリ革命が正当な理由なく次第に広がり収終が付かなくなりました。この際ヨーロッパに駐在する同じ部の家族が集まろうという事になりました。支店長夫妻と6歳の女児、もう一組の夫婦もオランダのロッテルダムから、ドイツのデュセルドルフの夫婦、それに4歳の男児と私達。4夫婦と子供210人の団体がベルギーのスパという温泉町に集合しました。スパというのはその名の通り温泉というフランス語なのです。男性は仕事の打ち合わせ、女性は年齢差がなく同世代で各国の様子を話し合って姦しく過ごし、子供二人は仲良く遊んでいました。息子はコミニユケーションがとれるほど日本語が出来ませんでした。フランス語の片言と日本語、オランダのお嬢さんは日本語とオランダ語か英語だったかもしれません。とにかくややこしいのですが翌日は遊園地のトロッコ列車に乗り鍾乳洞へ。奥に水の澄んだ綺麗な大きな池がありボートに乗りました。何度か鍾乳洞へ行きましたが池のあったのは初めてでした。パリ革命のお蔭で思いがけない楽しい収穫があり帰国後も長くお付き合いが続いています。昼の食事でハプニングが起きました。ベルギーはフランス語圏なので代表して夫がメニューを選びました。その中の一つタルタルステーキ。なにか特徴が添えられています。注文したものではないと抗議をしましたがタルタルステーキに間違いはないというのです。責任を取って注文した人が食べました。ミンチ肉は馬肉でかなり高級な一皿だという事が後で判りました。知らないという事は困ったことです。今では笑い話になっています。パリにこのお皿がメニューにあるゴルフ場のレストランがありました。食通の人はコースに出る前に予約をするほど出会えることの少ない一品なのでした。帰りにデユッセルドルフですき焼きをご馳走になりました。日本人の多い街では大抵の材料が手に入り、日本語で生活が出来るようでした。海外駐在員と言っても一概に決めつけることは出来ません。世界各国で暮らしたことのある人たちが一堂に集まればどんな話が出来るでしょうか? 実現出来たらどんなに楽しいかと思われます。ルクサンブルグを経由してパリに帰りました。途中で食べた干し肉の美味しかったこと。思いがけず見つけたユニークなデザインの陶器の花瓶は今なお飾ってあります。遠い昔の想い出です。

 

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