おぼろげ記憶帖 22~ パリ革命 (2) スイス旅行

1789年のフランス革命は王政から国民の政治へと時代の変革革命でした。1968年のパリ革命はサンミシェル広場での学生運動から始まったゼネスト。この時私はパリにいました。家の前を走るルノーの工場へ行く朝夕の通勤電車が止まりました。あれよあれよという間に電車・バス・地下鉄の交通が全面ストップ。窓から見えるガソリンスタンドは長蛇の列で1台当たり10リットルしか入れて貰えません。マルシェや食料品店から買い置き出来るスパゲッティ・小麦粉・イタリア米・ハム・ソーセージなどの加工品・チーズ・じゃが芋などすっかり姿を消してしまいました。

日本からは4歳の息子を連れて家族は一時帰国するようにとテレックスも入りました。市内電話は通じなくても国際電話は通じたのです。事務所に居ても仕事にはなりませんので休暇を貰って旅行に出ることにしました。8時間車で走るとスイス。そしてグリンデルワルドへ。日本人の駐在員はフランス人のようなバカンス休暇はありませんでしたからゼネストのお蔭の旅でした。その頃のレストランは、ノーネクタイでは入れません。登山電車の前の立派なホテルでした。子供はジャケットに半ズボン。首にはゴムひもを付けた蝶ネクタイの正装。夫は慌てた出発でネクタイを入れ忘れたのです。ご丁寧に二つ持って来ていた幼児のネクタイでごまかしました。もしなかったらどうしたのでしょう。何十年経っても懐かしい思い出です。ユングフラウへ登る登山電車でアイガー北壁を眺め氷のトンネルを通ってユングフラウ展望台へ。ユングフラウ・メンヒ・アレッチ氷河。美しい山の風景は、美味しい空気を吸いながらいつまでも眺めていたい、あァ!これがスイスアルプス!と感激はひとしおでした。

それから何十年も過ぎた2001年、夫の大学の同期生3組の夫婦6人でスイス旅行に出ました。登山電車のホテルは年月の過ぎたことを感じさせないままにそこにありました。本当に懐かしいでした。登りついたユングフラウヨッホの山頂の郵便局は世界の標高が一番高い所にあり、ハガキを大人になっている息子に書きました。でも文章はまとまらず、これは空気の薄い為に頭が廻らなかったのでしょうか。展望台が標高3571mと言いますから下山の途中で以前に子供が体調を崩して大変だったこともしっかり記憶にありました。同じことの表われだったのでしょう。このハガキは1か月以上も掛かって無事に届き、記念すべき便りになりました。

グリンデルワルドで夏冬のバカンスを1か月、半月と毎年過ごしていた日仏家庭があります。2度のパリ生活でどんなにかお世話になった家族です。その奥さまが交通事故で亡くなりました。周りの人達の悲しみは想像に余りあります。私もその一人です。後日家族で相談の上お骨はグリンデルワルドに埋葬され、その後も休暇はそこで楽しんでおられます。彼女は日本人、国籍は日本とフランスの二つ、パリに暮らし終の棲家はスイス。自由に物事を考えられる素晴らしいお友達、半世紀を超えるお付き合いになりました。

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